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能田 成博士を偲ぶ

板谷徹丸(NPO法人地球年代学ネットワーク理事長)
乙藤洋一郎(NPO法人地球年代学ネットワーク副理事長)


 能田 成博士は1941年京都市生まれである。戦中生まれであったが、幸い順調に成長し京都大学農学部農学科を1964年に卒業し、京都大学大学院理学研究科に進学した。1972年に博士課程単位取得後退学(同年7月京都大学理学博士)し、京都産業大学講師として赴任した。助教授をへて1981年に教授となる。1979年と1984年にアメリカ合州国カリフォルニア理工科大学客員研究員(地質学・惑星科学部門)としてWasserburg教授の下で同位体地球化学に目覚めた。その経験を基に京都産業大学で1987年に質量分析計を導入して同位体地質学研究室を立ち上げた。1988年京都大学崑崙学術登山隊隊長として6903m峰初登頂している。1999年に熊本大学理学部教授となり2006年定年退職した。その後、数年間、台湾国立成功大学研究教授(理学部地球科学)として活動した。
 NPO法人地球年代学ネットワーク(jGnet)が2014年に開設された時、京都の自宅で趣味三昧の生活をしている能田氏に、jGnetの発展に貢献してもらうために入会してもらった。jGnetの様々な催し物に参加してもらい、研究討論会などでは講演もしてもらった(写真1)。残念ながら写真撮影やコーラスなどの趣味に時間を取られ、催し物からは遠のくことになった。2023年4月に体調悪化で入院となり、間質性肺炎と診断され、治療が行われた。その後、退院療養中であったが2024年6月28日逝去となった。享年84歳。
能田氏の研究歴の中でも1980年代中頃の日本海の形成を同位体地質学で明らかにしたのが画期的であった。日本海が形成したのはアセノスフェアーの東向きの流れが起因しているとした。マントルウェッジにAsthenospheric Injectionが生じたとする説はその後も世界各地の収束帯で生じる様々な地質学現象の説明に適用されている。昨年、地学雑誌の編集委員会から依頼された回顧録「1960〜1990年代の京都大学地鉱教室―パラダイムの超克―」を執筆。地学雑誌の編集委員会が期待した回顧録は正にそれであったが、能田氏の個性が全面的に現れた文章となっている。

写真1:地球史研究所開設記念式典(2017年10月14日)で講演する能田 成博士